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コーイチコラムVOL6 |
「こんなあたしのココロのすきをぬって 火取ゆきとのつきあいはもう11年にもなる。 友川かずき(※1)の唄をカバーして唄う女性シンガーがいるということは、その当時(95年ころ)よく、ミノヤホールに出演していた東京のパーカッショニスト風巻隆から聞かされ、ブッキングを 持ちかけられたのだが、興味があったがスケジュールの都合で決めれな かった。 ※1[友川については http://ja.wikipedia.org/wiki/友川かずき を参照] そして後日、名古屋の盲目のブルースフォークシンガー金沢栄東がやはりミノヤホールに定期的に来てくれていて、彼の出したCDのレーベルが「ペルメージレコード」で、同じレーベルから彼女がCDを出しているということを聞き、是非聴いてみたかったので、栄東さんからそのCDを送ってもらった。そして聴いた。そのCDのタイトルは「今すぐわたしを見て」。全編友川かずきの詞と曲、バックは友川バンドのバックメンバー全員(永畑雅人・石塚俊明・松井亜由美・金井太郎)と友川自身もコーラスとギターで参加。 そして栄東さんから連絡先を聞いて、電話をした。 来てくれる前の月に、川崎の元住吉にある、ピンクのブタへ挨拶に行った。ちょうど「土用の丑」の日で、うなぎを用意して彼女は待ってくれていた。今でもなんかそれだけは鮮烈に覚えてる。お店は昔ながらのBARであり、とても落ち着ける懐かしさがある空間だった。そんな中に彼女 しかし、関西に来てくれるにあたって一つ条件があるという。東京渋谷にあるライブハウス「アピア」のマスターが同行すること。渋谷アピア・・・・。悪名高き老舗のライブハウス! マスターはむちゃくちゃ怖い人という噂を聞いていたから、来ていろいろ文句を言われるのは嫌なので、それはちょっと・・・・ということで丁寧に断ったのでした。 このころは、ミノヤホール隆起の時期で、下のライブDM
(ようこんなもんがでてきたと自分でもびっくりしているのだが)が示すように、かなりいろんな人が出てて、精神的にもエレクトしてた時期で、盟友、島田篤アニキによれば、ぼくは「瞬間湯沸かし器のきっしゃん」
そして97年8月も終わりに、いよいよライブ実現へ。
あぁどうしよう、こわい
スケールの大きさ、優しさ!マスター、ママの伊東夫妻は初めて逢ったとは思えない親しみがあり、今日まで本当にお世話になり続けています。 「火取ゆき」といっても知る人は関西にはほぼ皆無に近い。それならどうしたものか。そうだ、CDのレコーディングメンバーだった、トシさん(石塚俊明)に共演してもらえば、トシさんのお客さんに聴いてもらうことができる! シノラマなどのライブでミノヤに常連で出演してくれていたトシさんにお願いをした。そして大阪では、即興ギターの中村ヨシミツさんとヴァイオリンの平松加奈、京都拾得ではシンガーの光玄さんに対バンをお願いした。
そのあと98年、99年と続けて大阪に来てもらうが、そこから2006年までブランクを空けることとなる。それは2000年でレッドライオンを閉店して力を失ったぼくの事情もあったし、彼女自身の事情もあった。自由に唄うということができず、もがき苦しんでいたのだ。数年は全く連絡をとりあわないことになり、関係は自然消滅したかに思われた。とても悲しかった・・・・。 その後アピアでのライブ企画は細々と継続してやらせていただいてたのだが、2005年にアピアで企画させてもらった時に彼女がアピアで働いていて再会となる。ピンクのブタは閉めて、ママの代わりにアピアでフード担当として切り盛りを始めたのだ。ちょうどこのころ伊東さんの息子のREIKUが店長として、世代交代し、新たなアピアが始まり出した。 この時に彼女と、お互いの氷壁が解け合ったように自然に話しができて、彼女は ぼくが99年に「真昼の星空」という彼女のセカンドアルバムのCD発売記念ライブをやった時、ワンマンで行ったので、動員には自信がなかったが、「ほんまにええんです、ぼくの一押しです、是非来て」と常連のお客さんにむっちゃプッシュした。そして来てくれたお客さんに「ほんま来て良かった、きっしゃんのいうたとおりやったで」と言ってもらったことが今も忘れられない。 ほぼ20年前に三上寛に出逢い、衝撃を受けて、そして須山公美子に逢い、音楽の広さを知り、下田逸郎に逢い、人間というものを改めて眺め、そして火取ゆきに逢って、その全てを愛してしまった。それがぼくの音楽人生。 火取ゆきは1STアルバムで友川かずき、2ndアルバムで小池真司という鬼才アーティストのカバーを唄っている。そのカバーもすばらしく、もはやその作品全ては彼女の血肉となっているのだが、いかんせんオリジナルのアルバムが無いことに当時からぼくは憤慨していたのである。彼女を取り巻くいろいろな事情というものが、それを創りだすことを否定していたのだが、先ほど記したように彼女のオリジナルはカバー以上にすばらしいのである。
「そしてジャズが流れてる」の彼女の手書きの歌詞原稿は、99年11月、ぼくに送られてきた彼女からの手紙の裏にあったもので、これを送ってきたのはどういう意味かな? と思ってたのだが、いつのまにかぼく自身もこの唄を自分の持ち唄でライブでよく唄っていたのだった。 彼女の唄はすばらしい秀作がまだまだあって、もっと紹介したいけど、それは是非ライブで聴いてほしい。 ぼくは今回、こんなコピーで彼女を紹介している。正直な気持ちである。 『火取ゆき』 東急東横線の元住吉駅が高架になって、ピンクのブタも無くなり、昔よく泊めていただいた、アピア伊東家のマンションの部屋はマスターが引っ越しをし、アピアもまた新たな姿に変化しようとしている。 でも火取ゆきは唄ってくれる。 いろいろしんどいんやけど、ぼくももうちっとがんばってみるかな・・・・。
※敬称略 |
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